NPO法人首里まちづくり研究会(すいまち研)のホームページ

e首里ドットコム

特集 首里いっぴん「金細工またよし」

首里ならではの伝統工芸・泡盛・伝統銘菓から新しい工芸品、そして首里らしさを大切にした「首里の逸品」をご紹介します。



金細工の歴史

首里の誇る伝統工芸のひとつ金細工。銀を素材に作られる美しい装飾品の数々は、時代を超えて多くの人々に親しまれています。 尚眞王時代(1509年)、琉球王府の命により唐に留学、飾り職の技を修めた初代から代々受け継がれてきたまたよしの金細工(かんぜーく)。琉球王府御用達職人として、筑登之親雲上(ちくどぅんぺーちん)の位を持っていたまたよしをはじめ、多くの金細工職人が守礼門近くで工房を構えていたと言われています。

しかし、廃藩置県や先の大戦で伝承の多くと道具を失った金細工の歴史は長い空白の時期を迎えます。

そんな金細工の復元に取組んだのが6代目の誠睦さん。王朝時代から続く伝統的な金細工であるジーファー(かんざし)、結び指輪、房指輪を見事に復元し、その技は7代目健次郎さんの手によって今も守り続けられています。



気品あふれる首里の金細工

ジーファー(かんざし)は、それぞれの身分の違いによって素材が異なり、王族は金、士族は銀、平民・農民はしんちゅう・木・べっ甲などの素材が使われていました。またよしの工房では、銀を素材とする王朝時代の貴婦人のジーファーが主に作られています。そのすらりとした形状は、女性のうなじの優しさ、胴のくびれを表し、またよし作品の中でも最も難しいと言われています。

古くは婚礼指輪として女性の憧れであった房指輪。1960年代になって、浜田庄司から6代目誠睦さんに手渡された原型をもとに復元されました。美しく繋がれた鎖、七飾り、三つの指輪で構成されています。七飾りには、(魚)食べ物に困らない様に (灯明)先祖すうはい(鳩)平和の象徴(扇)末広がりの福(花)生活の彩(蝶)天国の使者(葉)着る者に困らない様にと、それぞれに意味があるのも特徴です。

1970年代、棟方志功の図案をもとに6代目誠睦さんが復元した結び指輪。その工程は、2本の銀線を加熱して親指と人差し指で結んで作られます。結び目が、男女の出会いと絆を表わしているようにも見え、今も多くの人に愛されている作品です。


伝統の形を守り続けて

首里石嶺町にある工房は、緑に囲まれ凛とした空気が流れる空間。6代目から受け継いだ道具に囲まれた小さなスペースが健次郎さんの仕事場です。カンカンとひたすら銀を打つ作業を繰り返し、ひとつひとつの作品を作り上げていきます。

「伝統の形は代々伝わる工程と道具を継ぐことで同じ形が復元されます。工程はどれもシンプルなので何年か技術を学べばひと通りの形は作れるようになります。でも、そこに伝統工芸を作る職人としての想いを込めなければ良い作品にはなりません。打つ人の心がそのまま形になる銀細工はそこが1番難しい。自分が父を通して想いを受け継いだように、私がしっかり伝えていかないといけないのですが私自身もまだまだなんですよ。紅型や泡盛をはじめ、首里の職人なら同じ気持ちだと思うけれど、ここ首里でモノを作り続ける事にも大きな意味があると思うのです」

500年の歴史を持つまたよしの金細工。今後はどういう道を辿るのでしょうか。
「市場のニーズもあって新しい形を作る事もあります。それはそれで良いのだけれど、こうして代々伝わってきた金細工をいかに忠実に伝え残していけるかが私の役目だと強く感じています。残りの職人人生は後継者育成に力を注ぎたいと考えています」と穏やかに微笑む健次郎さん。どんなに忙しくても、工房を訪ねて来られた方には丁寧に接している姿も印象的です。
「県内外から色々なお客様がいらっしゃいます。私自身驚くような出会いもあり、そのひとつひとつがとても嬉しい。でも、1番嬉しく思うのは、首里のお客様がみえた時。当蔵から来ましたとかジーブ(儀保町)から来ましたと言われると何とも言えない気持ちになるんですよ」

いつの時代も、伝統を守っていくためにはたくさんの人々の努力と関わりがあってこそ。今後の金細工の歴史を温かく見守っていきたいものです。



金細工またよし

住所:沖縄県那覇市首里石嶺町2-23-1
電話/FAX:(098)884-7301
営業時間:月?土曜日の午前10時?午後5時まで